【オペア体験談!】私のアメリカAu pair Life



私は学生の頃から、いつか外国に住んでみたいという漠然ですが強い思いを持っていました。一旦は幼いころからの夢であった保育士として職に就くも、そのことがずっと頭から離れず捨てきれずにいました。そんな時に知ったのが「Au pair」というプログラムでした。予てから憧れていた海外生活『私のアメリカAu pair Life』を自分がしてきたこと、感じたこと、心境の変化などを踏まえて振り返りながら綴れたらと思います。

まずはなぜアメリカを選んだのか。いくつか理由はあるのですが、一つは英語圏で探していたこと、またアメリカは他のどの国に比べてもAu pairの制度がしっかりとしていること、そしてちょうどWAPJでアメリカAu pairのモニターキャンペーンを募集していたことが最終的な決め手となりました。制度がしっかりとしているというのを具体的に挙げてみると、アメリカではAu pairは国に認可されたプログラムなので、往復航空券がエージェントから支給されたり(復路分はプログラム終了者のみ)、学費(最大$500まで)・傷害保険はホストファミリーに負担してもらえたりと金銭面でのサポートがとても充実しています。

ファミリー選びはインターネットのマッチングサイトを通して進めていきました。今回のファミリーに決まる前に他のファミリーとも連絡を取り合ったりインタビューもしたりしたのですが、自分の中でどこかしっくりとくるものがありませんでした。今のファミリーと話をした時、ホストペアレンツの笑顔がとても印象的で雰囲気がすごく良かったので、最後は自分のフィーリングを信じて決めました。

ホストファミリーとの相性によってAu pair生活は随分と違ってくるので、最後まで妥協することなく自分の感覚を大切に決断することをお薦めします。

それでは私のホストファミリーの紹介です。両親共にアメリカ人で3姉妹の子どもがいる5人家族のお家に、2年間(2012年5月20日~2014年6月15日)お世話になりました。場所はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊です。



パパ:白人のアメリカ人(45歳)
ママ:台湾系アメリカ人(45歳)
長女:8歳(2nd grade)
次女:6歳 (Kindergarten )
三女:3歳 (週3回/Pre school、週2回/日本の保育園)

*子どもたちの年齢は私が渡米した時点での年齢です。

因みに私は当時26歳でした。



日本での留学経験があるホストパパ、日本語のできる両親を持つホストママ(戦時中日本の支配下にあった台湾では今でも日本語を堪能に話せる人がたくさんいます。また台湾人は親日家としてもよく知られています。)、そして日本の保育園へ通う子ども。私はここのファミリーでは4代目のAu pairでしたが、過去のAu pair全員が日本人であるほど、大分日本人びいきなファミリーでした。しかしそれは私たちAu pairにとってはとてもいい条件で、必要があれば日本語でコミュニケーションをとることもできるし、何より日本文化・日本人に対する関心と理解があることが、見知らぬ土地へ移った外国人の私にとってはかなりの安心材料となっていました。

そんなファミリーのお家でAu pairとして過ごすこととなった私ですが、渡米前は正直不安要素などほぼないぐらいに期待に満ち溢れていました。少々浮き足立った状態で日本を飛び立ち、向こうに着いてしばらくは期待通り、いやそれ以上のゴージャスな生活を毎日楽しく過ごしていました。

しかしだんだんとそんな生活が日常となってくると新鮮さも薄れてきて、生まれ育った環境でない場所で生活していくことに疲れを感じ始めたり、不安や戸惑い時には不満も出てき始めたのです。自分が思い描いていたような生活が永遠と続くわけではなかったのです。この2年間を振り返ってみても自分の中でいろんな波があったことを思い出します。特に1年目は気分が落ち込むことも多く、つい先のことばかりを考えて2年目をどうしようかと悩んでばかりいました。それでもこうやってやり遂げられたことを思うと、それ以上のものがそこにはあったからだと思います。


ここで1日のスケジュールをご紹介します。




今挙げたのは一番最近のスケジュールの例です。習い事をたくさんしている子どもたちなので、曜日によって午後のスケジュールは毎日異なります。また学校の行事や習い事の発表会・大会などの兼ね合いによってもスケジュールの変更はよくありました。それを前もって教えてもらえたら仕事をする上でも見通しが立ちやすいのですがそこはアメリカンスタイル、予定はその日その時に決まって当たり前という感じだったので、働き始めはそれに慣れるに慣れられなくとても苦労したのを覚えています。しかし『郷に入っては郷に従え』そこに入ってしまったら、そうしないとやっていけない状況に体も自然と慣れていってしまうものなんですね。今ではそんなアメリカ人のラフな考え方柔軟さに慣れてしまって、きっちりとした日本のスタイルに逆カルチャーショックを受けているほどです。

土日は基本的に休みで週休2日を頂いていました。しかし、医者であるホストママは3カ月に1回ほどの頻度で週末にオンコール(連絡があり次第すぐに職場へ駆けつけなければいけない勤務体制)があり、その時は休みに関係なく私は家にいなければなりませんでした。ホストパパは休みの日でも家のオフィスで仕事をしていたので、週末オンコールでママが不在パパが在宅という状況でも私が家にいる必要がありました。親が家にいるのにどうして…?と疑問に思ったりもしましが、そういう時にこそAu pairを必要としているのだからと自分の中で割り切って働いていました。

外国という言葉も文化も今まで自分が育ってきた環境と全く違うところで生活すること、私にとってそれは未知なる経験でした。頭では理解できても感覚で馴染めないこと、予想もしていないことに出会ったり自分ひとりでは解決できない問題にぶつかったり、想像を超えた世界がそこにはありました。

Au pairとして働く上で最後まで悩んでいたことの一つは、仕事とプライベートが同じ空間であったことです。仕事場が自分の住まいでもある、というちょっと特殊な環境であるAu pair、そのことが時に良かったり時に悪かったり、その曖昧さが私にとってはとても複雑なものでした。例を挙げてみると、週末でも朝早くから子どもたちの大きな声や音楽の練習が聞こえてきて、本来ならのんびりとできる休日の朝がいつも苦痛になってしまっていたこともその一つです。しかしどんなにそれが嫌でも、そこが彼らの家である以上どうしようもなく我慢する他ありませんでした。またプライベートな空間に子どもたちが入ってくることも多々ありました。週末部屋を空けて帰ってくると、洋服が乱されていたことがあったり、部屋においておいたハロウィンで貰ったお菓子を「お姉ちゃんがとってたよ」と妹を通じて知らされたこともありました。子どものやることなんだからと大きな器を持って受け止めてあげられたら良かったんでしょうけど、私の中ではやっぱりどこかひっかかるものがありました。

こんな小さなことの積み重ねが、心底安心して過ごせる環境であったかと言われるとそうでなかったように思います。

子どもたちについてはその他にもいろいろと思う点はありました。とにかく裕福な家庭の子どもなのでわがままな姿もよくみられていました。しかしそれをお金持ちの子だからと決めていいものなのか、アメリカの子育て事情を知らない私には判断がつきませんでした。アメリカのやり方、そしてそれぞれの親の考え方、いったいAu pairとして子どもに関わる私はどういった考えで接していけばいいのか、私が仕事をしていく上で一番考えさせられたことかもしれません。以前日本の保育園で働いていたこともあり、現場とのギャップも大きかったのかもしれません。中でも食事中のマナーは毎日のことなのでとてもストレスになっていました。食べ歩きは当たり前、食べ物で遊んだり、時には8歳になる子が
手づかみでご飯を食べたり・・・私の中では受け入れがたいものでした。他にも些細なことでは、アメリカ人は人に物を渡す時に何でも投げ渡す習慣があるのでそれを見るだけでも嫌だったり、小さな時から自分の意見をはっきりと言うようにしつけられてる子どもたちなので大人に対する口調や態度が気になったり、自分に直接関係がなくても毎日生活を共にしていると細かいことがどうしても目に留まってしまうのです。

こう並べてみると不満に思っていたことばかりにみえますが、決してそういうわけではありません。どんなに腹立つことがあっても、私は子どもたちのことが大好きでした。言葉の通じない外国人の私を受け入れ、分からないことがあれば何度も何度も繰り返し教えてくれたり、楽しいことを自然と共有してくれたり本当に家族の一員として私に接してくれていました。時には姉妹のように仲良く、そして時にはお母さんのように口うるさい私のことをいつも慕ってくれていた素直で可愛い子どもたち。そんな子どもたちの笑顔にどれだけ心癒されたことかわかりません。子どもたちと共に過ごした時間はかけがえのないもので、一生忘れることのできない宝物です。








<友だち>

先にも言ったように、この2年の間に気持ちが浮き沈みすることは多々ありましたが、どんなに気持ちがめげていても週末の友だちと過ごす時間だけは仕事のことを忘れて単純に外国の生活を楽しみ、気持ちをリフレッシュできる時間でした。私はアメリカへついてすぐに、社長のやっくんが紹介して下さったアメリカで働く日本人のMちゃんと仲良くなりました。Mちゃん自身Au pairの経験もあった為私の仕事のことも理解し、たくさん話を聞いてアドバイスしてくれたので本当に助けられました。異国の地で出会う同じ日本人はやっぱり特別な存在です。

でもせっかくアメリカにいるのだから現地の友だちも欲しいとずっと願っていました。でもどうやって?私の最初の課題でした。見知らぬ土地で一から友だちを作ることがこんなにも大変なことだとは思っていませんでした。私の場合はインターネットを通じて言語交換という形で友だちを見つけていきました。言語交換はその名の通りお互いの言語を交換し合うこと。ネットなので初めは抵抗もありましたが、そこは私自身の気を付け方次第で危ない目にあうこともなかったですし、いろんな人と知り合うことができていい方法だったと思っています。結果、その友だちを通じてまた新しい友だちができ、そしてまたその友だちを通して新しい友だちができ…。早く友だちを作らないとと焦っていた1年目よりも、ちょっと自分に気持ちの余裕ができ始めた2年目のほうが自然と友だちが増えていったように思います。






<学校>

学校に関しては、私は2年間でESLクラス、American cultureクラス、Sewingクラス、そしてPhotographyクラスをとりました。初めはせっかくの機会なのだからしっかりと勉強して時間を無駄にしないようにしようと思っていましたが、正直学校に関しては満足いくようには自分で努力できませんでした。それは完全に私自身の気持ちの問題だったと思います。初めに行ったESLのクラスが想像していたものではなく気持ちがついていかなかったのです。その後も違うクラスを受けてみましたがしっくとくるものがなく、時間稼ぎだけのクラスは午前の時間をただ過ごす場所となってしまっていました。しかしそ
れではあまりにももったいないなと思い探して見つけたのがPhotographyのクラスです。写真がもともと大好きだったことと、このクラスだけアダルトスクールではなく現地の学生たちに混じって受けるものだったので、それまでとは違った雰囲気の中楽しく授業を受けることができました。

授業内容はフィルムカメラを使っての撮影と暗室に入って写真を現像すること。自分が興味のあることをできることがとても嬉しかったです。引き続きクラスを受けたかったのですが、定員オーバーで受けられなかったことが今でも残念に思っています。



<バケーション>

「生活するために」ではなく、「自分の好きなことをして人生を楽しむために」働くアメリカ人。大概の会社はまとまった休みを取らせてくれ、私のファミリーも長期のバケーションをとっては色んなところへ連れていってくれました。ヨーロッパはフランス・スペイン、そして私の母国である日本へも夏のバケーションでホストファミリーと一緒に遊びにきました。アメリカ国内では両親それぞれの実家があるルイジアナ州とペンシルバニア州へ、冬にはスノーボードをしにロードトリップしたり、ファミリーとの最後の旅行はメキシコでした。旅行が大好きな私ですら、最後のほうは贅沢にもそんな旅行三昧な生活に疲れを感じてしまうぐらいにある意味二度とできない経験をさせてもらいました。

そんなファミリーだったので私が個人的に行く旅行にもとても理解があり、時には私の旅行に合わせて仕事の都合をつけてくれ、行かせてくれたこともありました。自分で計画を立てて行った中で一番大きな旅行となったのが南米ペルーへの旅行でした。せっかくカリフォルニアにいるのだから南米にはいってみたいと思っていたところ、友だちのMちゃんがAu pair時代にマチュピチュへ行ったときの話を聞かせてくれて行くことを決めました。他の人に連れて行ってもらう旅行も楽しいですが、やはり自分で調べて失敗しながらもプランを組みたてていってこそ、その何倍もの楽しみを味わえるし自分のものになると思います。初めての発展途上国への旅行でドキドキしながらの旅でしたが、大きなトラブルもなく見たかったものもみれて大満足な旅となりました。







☆おすすめの旅行先☆(*とっても個人的な意見です)

○国立公園

・グランドキャニオン(巨大な渓谷を目の前に自然の偉大さを実感できます)
・イエローストーン(地球の不思議を見ることができるところです)
・グランドティトン(湖がとってもきれいです)
・ヨセミテ(大きな滝、ハイキング、キャンピング、唯一もう一度行ってみたいと思った国立公園です)

○街

・シアトル(ワシントン州)おいしいコーヒーが飲めるカフェがいっぱい!
・サンフランシスコ(カリフォルニア州)ゴールデンゲートブリッジは一見の価値あり!
・ニューヨーク(ニューヨーク州)世界の中心!!
・ワシントンD.C(バージニア州とメリーランド州に接する)アメリカの歴史を感じられるところ。
・ニューオーリンズ(ルイジアナ州)ジャズミュージックが街中で聴こえる素敵なところ。
・ステートカレッジ(ペンシルベニア州)アメリカの田舎を体験したところ。

・ラスベガス(ネバダ州)ネオンに輝く、24時間眠らない街。


1月:ニューイヤー

2月:バレンタインデー

3月:セイントパトリックスデイ

4月:イースター

5月:マーザーズデー メモリアルデー

6月:ファーザーズデー

7月:インディペンデンスデー

9月:新学期

10月:ハロウィン

11月:サンクスギビング

12月クリスマス

以上挙げたものは街がそれ一色になるぐらいの大きなイベントで、そうでなくてもアメリカ人は何かがある度にパーティーをしたり、バーベキューをしたりととにかくみんなで寄り合って話をして楽しい時間を過ごすことが大好きです。何もなくても普通の週末にブランチパーティーを開いたり、誕生日があればバースデーパーティー、週末ごとに何かしらイベントがあって大忙しの日々です。まさに私が描いていたアメリカの姿そのもので、人生を楽しく生きているそのあり様が羨ましくもあり、ますますアメリカのことが好きになりました。




さてアメリカでAu pairとして2年間(もしくは1年間)の仕事を終えた暁には、プログラムを終了した人だけに1ヶ月間アメリカに滞在できる権利が与えられます。私はそれももまた楽しみの一つに最後まで仕事を頑張ることができました。父と妹が遊びにきてくれ、まずは1週間ロサンゼルス近郊を観光し、その後友だちとヨセミテ国立公園でキャンプをしてきました。それが終わると今度は東へ飛び、ワシントンD.C、ニューヨークそして、ホストパパの実家であるペンシルバニアへ約10日間の旅行へ行ってきました。そのころにはすっかりと旅にも慣れ、自分で切符を手配したり宿を選んだり、困った時でも自分で解決するすべを見つけ出したりと随分と自分自身の成長を感じることができました。

アメリカから帰ってきて1ヶ月が経ちました。今は親元で2年間のAu pair生活を終えた達成感の余韻に浸りながらこれからのことについて考えているところです。以前やっていた保育士に戻るのか、別の仕事に就いてみるのか、はたまた再び海外へ飛び出すのか、可能性はいくらでもあると信じています。

 しかしこうして日が過ぎていくうちにも感じていることが英語力の低下です。いくら一度身についたものでもやっぱりその環境にいなくなると、言いたいことがとっさに出てこなかったり、日常で使っていたフレーズを忘れてしまったり、友だちと話をしていて気づくのです。せっかく学んだ生きた英語を時間の経過とともになくしてしまうのは惜しいので、これからのことを考えるに当たってはやっぱり英語には何らかの形で関わっていきたいと考えています。

最後になりましたが、今回Au pairとしてアメリカへ行くにあたり両親、友達、そしてWAIJの社長であるやっくん、スタッフの是木さん、向こうで出会ったホストファミリーはもちろん日本人の友だち、現地の友だち、いろんな方にサポート、応援してもらったことに心から感謝します。